2014年09月25日

「歴史にふれる」

鶴岡の歴史や文化を知る上で欠かせない施設。

致道博物館。

東北地方で現存する唯一の藩校建造物。

元々は庄内藩主酒井家の御用屋敷だったものを博物館として公開しています。

歴史にふれる1.jpg


酒井家について調べてみました。


徳川四天王の1人 酒井忠次の孫・忠勝が入部し、

その後、酒井家が約250年にわたり、まとめ納めていました。


忠勝は酒井家次の長男として生まれ、元服した際には主君徳川秀忠より偏諱を拝領し、忠勝と名乗った。

宮内省に任じられる。

父・家次の死去により24歳で家督を相続した。

しかし、相続後 間もないに越後高田藩10万石から信濃松代藩10万石に国替されている。

それから3年後の最上義俊が改易されたのに伴い、出羽庄内藩13万8,000石に加増され、国替えされた。


庄内に入部後は交通の要所・酒田の亀ヶ崎城に代えて、

大宝寺氏(出羽国の大身豪族、戦国大名。本姓は藤原氏。

鎮守府将軍藤原秀郷を祖とする武藤氏の流れを汲み少弐氏とは同族に当たる。)

が拠点としていた鶴ヶ岡城を居城と定めている。

しかし亀ヶ崎城も存続を許され、小藩としては異例となる2城を持つことになった。

忠勝は居城とした鶴ヶ岡城の整備に努めたが、完成するのは孫の忠義の代となった。


入部直後の検地では表高よりも実高を大幅に増やすことに成功した反面、

過酷な徴税につながり、鶴ヶ岡城の普請などもあって、領民の逃散につながっている。

特に寛永11年(1634年)には、遊佐郷の大肝煎であった高橋太郎左衛門が幕府に直訴しており、

藩政は揺らぐ一方であった。


忠勝晩年の寛永19年(1642年)となって、解任され忠勝に預けられていた弟の忠重が、

忠勝に跡継ぎ忠当を廃嫡させ、忠重の子 忠広に庄内藩を継承させようとする、

酒井長門守一件が起きている。この時、家老 高力喜兵衛らを追放されており、

忠当も廃嫡されかかっている。しかし、廃嫡となる前の正保4年(1647年)10月17日に、

忠勝が死去したため、老中松平信綱の裁定により、忠当が家督を相続している。



国指定重要文化財の旧西田川郡役所や、多層民家、

現在修復中の旧鶴岡警察署庁舎など、貴重な歴史的建築物が移築されています。

旧鶴岡警察署庁舎は2017年まで工事は続くそうです。

歴史にふれる2.jpg


今回 鶴岡の歴史に少しふれ、改めて知るいい機会でした。


「鶴岡まだまだ見どころ満載です。」

BY T
posted by TMO at 15:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/103931556
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック